欧州のナンバー1レース、凱旋門賞とは?

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今や欧州のナンバー1レースであり、世界最候補のレースの一つとして確固たる地位を得ている凱旋門賞。日本はもちろん、世界各国のホースマンが制覇を夢見る大レースとして知られています。

そんな凱旋門賞ですが、当然のように創設当時から現在のような地位を築いていたわけではありません。では、どういう経緯があって、凱旋門賞は今日のような評価を得たのかをここで紹介していきます。

そもそも凱旋門賞が始まったのは1920年。おりしも第一次世界大戦が終了した直後のことでした。この頃のフランス国内は戦争によってあらゆる部分に疲弊が目立ち、特に競馬は衰退傾向にありました。

そんなフランス競馬を復興させようという意向で、フランスのシンボルとも言える凱旋門の名をつけたレースとして開催されるように。ロンシャン競馬場の芝2400mで行われる欧州の芝中距離路線のチャンピオンレースと言えます。

ちなみに凱旋門賞の出走条件は3歳以上の牡馬と牝馬限定でセン馬の出走はNG。クラシック同様に種牡馬や繁殖牝馬の選定競走としての意味合いも込められています。

ところが、創設当時の凱旋門賞は国外のホースマンたちからは圧倒的に不人気。理由は諸説ありますが、競馬発祥の地であるイギリスからすれば、フランスのレースは格下。そのため、一流馬はわざわざ遠征することはありませんでした。

フランスの国際レースだというのに自国フランスの馬しか出走していないという状態が、30年近く続きました。この間に行われた第二次世界大戦の影響で、39年~40年は開催自体が中止され、さらに43年~44年はロンシャン競馬場ではなく、ル・トランブレー競馬場で代替開催が行われました。

この状態を打破したのが1949年。この年から凱旋門賞は当時のフランスの最高峰レースであるパリ大賞典の賞金を抜いて、フランス最高額のレースに。賞金が高額になるという最もわかりやすい格付けを行ったことで世界中のホースマンたちが注目し、次第にイギリスをはじめとした競馬大国からの出走馬が増えていきました。

ところが凱旋門賞が国際的に大きなレースになると、必然的に問題が起こります。その一つとされているのが53年の騒動。この年はイギリスのセントレジャー勝ち馬プリモニションにコロネーションCの勝ち馬ズクロがやってきただけでなく、第二次世界大戦での敗戦国にあたるドイツからも自国のダービー馬ニーデルレンダーが参戦。観客は10万人もの大観衆が集まりました。

ところがこのレースは最終コーナーのあたりで、ニーデルレンダーがレース中に他馬に衝突されるアクシデントに遭い、右ひざの後ろを負傷。さらにプリモニジョンも別の馬にけられるという不利があって敗戦。これもあってイギリス、ドイツのホースマンたちは凱旋門賞の主催者を非難。ラフプレーに対する制裁も考えられましたが、特定の人馬を選ぶことはできないとして結局はおとがめなし。その代わりに証拠として残るパトロールフィルムを撮影することを決定。これが現在でも伝わるパトロールフィルムの始まりとも言われています。

そんな中で凱旋門賞が世界的な地位を得るキッカケとなったのが65年のレースでした。この年の凱旋門賞は「史上最高メンバーの競演」と呼ばれ、イギリス、フランス、アイルランド、アメリカと4ヵ国のダービー馬が一堂に会しただけでなく、フランスオークスの勝ち馬ブラブラ、さらに名牝エスメラルダの産駒エメラルド、そしてソ連(当時)最強馬と呼び声高かったアニリンというまさに世界各国の名馬の最強馬を決める一戦としてふさわしいレースとなりました。

そしてこのレースを制したのが地元フランスのシーバード。フランス国外を離れて英ダービーを制するだけの実力馬でしたが、この凱旋門賞でも実力を発揮。2着に入ったアイルランドダービー馬、リライアンスに6馬身もの差をつける圧勝を飾りました。これをキッカケにシーバードはフランス最強馬から欧州最強馬の地位を得て、凱旋門賞が世界中のホースマンに知れ渡るようになります。

ちなみにこの4年後の69年から日本馬も参戦するように。このことからも凱旋門賞の認知度が飛躍的に上がったことを裏付けます。

続いて凱旋門賞がターニングポイントを迎えたのが71年。飛ぶように走る馬、ミルリーフがこのレースを制したことからでした。当時の欧州の3歳牡馬のクラシック戦線の最高峰はイギリスの3冠レースでしたが、この馬が制したのは英ダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS、そしてこの凱旋門賞。この3レースを同一年に制覇することで欧州3冠という新たな価値を見いだしました。

また、凱旋門賞史上最高の名レースと言われたのが86年。この年の勝ち馬ダンシングブレーヴが直線一気で他馬を突き放し、65年のシーバードをほうふつとさせる圧勝を見せたことでした。ダンシングブレーヴはこの一戦で史上最強馬の地位を獲得しただけでなく、日本に種牡馬として来日し、桜花賞馬キョウエイマーチやキングヘイローなどのスターホースを輩出しました。

この後も凱旋門賞は94年にカーネギーが制して史上初の母子制覇を達成すると、08年からは賞金が大幅に増額されて、1着賞金228万5600ユーロ(日本円にして約2億8000万円)を含む総額400万ユーロ(日本円にして約4億9000万円)に。これ以降も賞金総額は上がり、18年には総額530万ユーロ(日本円にして約7億2000万円)に跳ね上がる予定となっています。

数々の歴史と高額賞金によって彩られた凱旋門賞。今年はロンシャン競馬場の改修工事のため、昨年同様にシャンティイ競馬場での開催に。新たな歴史の1ページにはどんなドラマが待っているのでしょうか?