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2年連続2着の偉業、オルフェーヴルの凱旋門賞挑戦について

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日本のホースマンたちにとって、制覇を夢見る大レース凱旋門賞。69年のシリウスシンボリを皮切りに数多くの名馬たちが挑んではその厚い壁に跳ね返されていきました。06年には日本競馬の最高傑作とまで称され“英雄”とまで呼ばれたディープインパクトがこのレースに臨みましたが、結果は3位入線。挙句の果てにレース後に禁止薬物の摂取が発覚して失格になるという憂き目にも遭いました。

ディープインパクトの無念から6年後の2012年、1頭の馬がまた凱旋門賞に挑むことになりました。その競走馬の名前はオルフェーヴル。ディープインパクト以来の期待を持って迎えられた実力馬です。

そんなオルフェーヴルですが、いったいどんな馬だったのでしょうか?

オルフェーヴルがデビューしたのは2010年。父ステイゴールド、母オリエンタルアートという血統で全兄に朝日杯FS、宝塚記念を制したドリームジャーニーがいる良血馬ですが、2歳時はその燃え滾るような気性が災いし、安定した成績を残すことができませんでした。

しかし、年が明けて3歳になると、荒々しい気性はそのままに投資を前面に押し出すレースを見せるようになり、東日本大震災の影響で東京に代替え開催となった皐月賞を4番人気で制すると、続くダービーを降りしきる雨の中を2着馬のウインバリアシオンを突き放して勝利して2冠達成。その実力はもはや折り紙つきでした。

そして迎えた秋シーズン、菊花賞でオルフェーヴルは伝説の名馬たちの仲間入りを果たします。3000mの距離を問題にしない快勝で史上7頭目の牡馬クラシック三冠を達成。2歳時に大敗(10着以下)に敗れた経験のある馬で初めての快挙となりました。くしくもこの年の同級生にはディープインパクト産駒の初年度産駒がいましたが、オルフェーヴルがそれをすべて蹴散らすことに。新たな名馬誕生を強く印象付けました。

このオルフェーヴルの勢いは止まらず、有馬記念でも古馬の筆頭格であるブエナビスタに引導を渡す形で完勝。オルフェーヴルが日本競馬界のトップに君臨しました。

そしてこの頃から、オルフェーヴルに凱旋門賞遠征プランが持ち上がりました。オルフェーヴル陣営もその遠征プランを敢行することになり、いよいよ凱旋門賞制覇が現実味を帯びてきました。

ところが、暗雲が対込めたのが12年の春。阪神大賞典で伝説に残る逸走を見せて2着に敗れると、天皇賞(春)はスローペースに巻き込まれる形で11着に大敗。凱旋門賞出走に暗雲が立ち込めましたが、宝塚記念で華麗に復活勝利。晴れてロンシャンへの遠征が決まりました。

その凱旋門賞出走にあたり、オルフェーヴル陣営は苦渋の決断を下しました。それは鞍上の交代。これまでのオルフェーヴルの鞍上はデビュー以来、池添謙一が務めていましたが、池添にはロンシャン競馬場への騎乗経験が乏しいという弱点がありました。

凱旋門賞制覇にあたり、絶対にミスは許されないという中で陣営が下した決断は現地の腕利きの騎手に任せること。池添も自らフランス遠征を敢行するなどして経験を積むように努めたのですが、結果的にオルフェーヴルの鞍上は世界最高峰の騎手の一人、クリストフ・スミヨンに決まりました。

また、オルフェーヴルを管理する調教師・池江泰寿はディープインパクトの調教師である池江泰郎の息子。ディープインパクトの凱旋門賞遠征時には帯同した経験もあります。それだけに同じ轍は踏みたくないということで、オルフェーヴルは凱旋門賞前に渡仏し、現地の最有力ステップレースであるフォワ賞を使うことにしました。

天皇賞(春)の大敗時、馬場を理由に挙げた陣営にとって、オルフェーヴルがロンシャンの馬場をどう感じるかは重要なテーマでしたが、オルフェーヴルは異国フランスの馬場でも問題なく駆け抜けてフォワ賞を制覇。凱旋門賞へと駒を進めます。

この年の凱旋門賞、オルフェーヴルにとってまたとないチャンスと言われていました。その理由はずばり、メンバーの薄さでした。

前年の凱旋門賞馬デインドリームはキングジョージ6世&クイーンエリザベス、バーデン大賞といったビッグタイトルを制しましたが、ドイツ国内の疫病の影響で出走を断念し、前年3着、エリザベス女王杯連覇の実績を持つスノーフェアリーも故障で回避、さらに前年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスSの勝ち馬ナサニエルも熱発で取り消すなど、欧州の古馬勢は飛車角落ちの状態。牝馬のシャレータやシームーンらが有力候補となっていました。

また、3歳馬も低調気味。セントレジャーステークスで敗れて英国3冠を逃したキャメロットは出走しますが、騎手のジョセフ・オブライエンが斤量の問題で騎乗できず、ランフランコ・デットーリへの乗り替わりを余儀なくされるなど、決して万全と言える状態ではありませんでした。これでオルフェーヴルがまたとないチャンスと言われたのがわかります。

このレース、陣営は万全を期して、オルフェーヴル用のペースメーカーとしてアヴェンティーノをこのレースに出走させます。このあたりからも何が何でも勝たせたいという気持ちがわかります。

いざレースが始まるとオルフェーヴルはその期待に応えます。最後の直線でオルフェーヴルは抜け出すと他馬を1馬身、2馬身と離していきました。

これは勝った!と誰もが思ったところですが、オルフェーヴルは突然ヨレてしまい失速。乗り慣れていないスミヨンではどうすることもできず、まっすぐ走らせるように制御するのが精いっぱい。その隙をついて伸びてきたのが伏兵のソレミア。ゴール直前にオルフェーヴルを首差交わしたところがゴールでした。

オルフェーヴルはまたも2着。悔しい敗戦に日本中が嘆きました。

翌13年、オルフェーヴルは再びロンシャンの地にいました。臨戦過程は昨年とほぼ同様でこの年もフォワ賞を制覇。さらにこの年は3歳馬のキズナも参戦し、とうとう凱旋門賞を制することができると日本の競馬ファンたちは期待に胸を膨らませました。

ところが…またもお預けを喰らうことに。このレースで断然の強さを見せたのが3歳牝馬のトレヴ。オルフェーヴルが昨年抜け出したのと同じように後続を突き放し、圧勝でゴール。オルフェーヴルはまたも2着に入るのが精一杯でした。

2年連続で凱旋門賞2着となったオルフェーヴル。悲願の制覇は産駒に受け継がれることになりました。