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日本競馬の発展にもつながっている!? 凱旋門賞馬の種牡馬成績とは?

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競馬発祥の地、イギリスのダービーには「ダービー馬はダービー馬から」という格言が存在します。もともと種牡馬選定競走としての毛色が強いクラシックレースだけにそうした格言が生まれるのはある種必然ですが、凱旋門賞を制した馬もまた名種牡馬が多いことでも知られています。

凱旋門賞馬の中でも最も成功した種牡馬と言えば、リボーであることに異論はないでしょう。自身同様に凱旋門賞を制したモルヴェド、プリンスロイヤルを日っというにラグーザ、トムロルフというクラシックホースを生みました。また種牡馬として頭角を現したグロースターク、ヒズマジェスティなどの馬もいます。

そしてリボーの血は日本でも開花し、82年にグロースターク産駒のジムフレンチの子供として生まれたバンブーアトラスがダービーを制したのを皮切りに、数多くの馬たちが大成しています。

このリボーは日本にやってくることはありませんでしたが、凱旋門賞を制した馬が日本で種牡馬として成功した例は数多くあります。

凱旋門賞馬が日本で種牡馬入りしたケースとして知られるのが86年の勝ち馬ダンシングブレーヴ。引退直後はイギリスで種牡馬入りをしていましたが、当時、不治の病といわれた難病のマリー病に罹ってしまったことで価値が暴落。それだけに世界的名馬が格安で日本に渡ることになりました。

日本に渡って以降、欧州でコマンダーインチーフ、ホワイトマズルらの活躍馬が現れたことで日本での成功も約束されましたが、キョウエイマーチが桜花賞を制して見事にG1サイアーに。同年にエリモシックがエリザベス女王杯を制して牝馬限定戦での屈指の強さを見せました。

翌年には牡馬戦線にキングヘイローが登場。G1レースをなかなか勝ちきれなかった馬ですが、2000年の高松宮記念で悲願のG1制覇を達成。種牡馬として現在もダンシングブレーヴの血を継いでいます。01年には真打ちともいえる存在、テイエムオーシャンが現れ、G1レース3勝という快挙を成し遂げました。

凱旋門賞馬史上、最も日本で成功したといっても過言ではないのが88年の勝ち馬トニービン。ジャパンC出走時からすでに日本で種牡馬入りすることは決まっていましたが、初年度産駒から大活躍。ダービー馬ウイニングチケット、牝馬二冠馬ベガを輩出したかと思えば、サクラチトセオーが天皇賞(秋)、ノースフライトがマイルG1を2勝と猛威を振るいます。

そしてトニービンの最高傑作といえるのがエアグルーヴ。牝馬ながらG1レースを2勝し、97年の年度代表馬に輝く活躍。このほかにもジャングルポケットがダービー&ジャパンCを制して01年の年度代表馬に選出され、種牡馬としてもトールポピーなどの活躍馬を輩出しています。

トニービン産駒の特徴はなんといっても東京競馬場との相性の良さ。産駒すべてで13ものG1レースを制していますが、うち11個は東京競馬場で開催されたレース。その相性が好影響をもたらし、94年のリーディングサイアーに輝きました。

トニービン、ダンシングブレーヴの活躍もあり、日本に凱旋門賞馬を導入するケースは増加。キャロルハウスもカーネギーも導入されましたが、揃って好成績を残すことはありませんでした。中でも大失敗と評されたのが95年のラムタラでした。

現役引退直後、ラムタラを種牡馬として導入したのは96年のこと。日高の生産者たちが3000万ドル(当時のレートで約33億円)という破格の金額をつけて買い取り、日本で種牡馬として起用することになります。大いに期待されたラムタラですが、残念ながらクラシック勝ち馬などのG1馬は現れず、06年に24万ドル(当時のレートで約2750万円)で買い戻され、結果的に失敗に終わりました。

しかし、ラムタラの血は母父になってから開花し、11年の天皇賞(春)を制したヒルノダムールの母父としてラムタラの名前が残っています。

日本にこそやってきませんでしたが、85年の凱旋門賞馬レインボウクエストもまた、日本競馬にはなじみの深い馬になりました。

レインボウクエストの代表産駒となったのがサクラローレル。デビューが遅れただけにクラシックレースへの出走は叶いませんでしたが、96年の天皇賞(春)ではナリタブライアンを相手にして勝利すると、有馬記念も制覇するなどの大成功を収めました。

数多くの種牡馬や凱旋門賞馬の子供を輸入した日本競馬ですが、成功したケースが多いことがわかります。凱旋門賞の制覇を日本人が夢見る理由が何となくわかりますね。