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意外と知られていない!? 凱旋門賞の歴史とは?

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今年で96回目を迎える凱旋門賞。今でこそ、欧州ナンバーワンレースとして知られ、日本をはじめとした世界各国から名馬が集まってくる一戦になりましたが、創設当時はフランス国内の馬しか集まらないという寂しいレースだったことはご存知でしょうか?

そもそも凱旋門賞が開催されるキッカケとなったのは、パリ大賞の成功でした。3歳馬による国際的なクラシック競走として制定したこのレースには競馬先進国のイギリスからも多くの出走馬が集まったことで国際的な成功を収めていました。

このレースと同様に国際競走で古馬が出走できるものを作ろうとして制定されたのが凱旋門賞。第一次世界大戦が終了した1920年に第1回が行われました。当時のフランスは第一次世界大戦の影響で15年から3年間競馬が休止されていたため、凱旋門賞にはフランス競馬の復興という思いがありました。それには国際レースの創設、そして競馬先進国のイギリスの馬の出走が必要不可欠でした。

しかし、パリ大賞とは異なり、凱旋門賞は海外のホースマンからは見向きもされませんでした。その理由として挙げられたのがフランスの通貨であるフランの下落。そのため賞金が安くなるという悪循環に陥っていました。わざわざ遠征していく以上、勝利して賞金を得ようとするのは当然ですが、一方でその賞金が安すぎると遠征する意味がないというのがイギリスのホースマンたちの本音。第一、イギリスから見て競馬後進国であるフランスのレースに出走する必要がないと考えるのが一般的でした。

そのため、当時の凱旋門賞に参戦してきたのはイタリアやドイツの競走馬たち。ドイツからは名馬オレアンデルらが2年連続で出走し、イタリアからはオルテッロ、クラポムらが凱旋門賞を制するということもありましたが、フランスの思いとしては「競馬先進国のイギリスから参戦してきた馬を地元フランス馬が破る」だったために、当初の目論見を一切果たせないという歯がゆい思いがありました。

凱旋門賞が国際的に注目を集めるようになったのは第二次世界大戦後。39年~40年に中止され、復活してからも43~44年はロンシャンではなく、ル・トランブレー競馬場で代替え開催をされるなど散々な状態になった凱旋門賞ですが、より危機感を持ったのが戦後の46年。この年にイギリスに凱旋門賞とよく似たレースのキングジョージ賞が秋に創設されました。遠征馬が数多く集まるライバルレースができたことで、とうとうフランス競馬界も凱旋門賞の賞金増額に乗り出します。

49年に凱旋門賞の1着賞金を約2500フランに設定すると、凱旋門賞はヨーロッパでは最高額のレースに変貌します。この効果は目覚ましく、この年には自国フランス、ライバルのイギリスはもちろん、イタリア、ベルギー、アメリカ、アルゼンチン、アイルランドなどから合わせて120頭もエントリーがありました。その中にはアメリカ三冠馬のアソールト、アルゼンチンの最強牝馬と称されたエンペニョーサらの名前もありました。

これで凱旋門賞は一気に国際レースとしての地位を築き、凱旋門賞と開催時期がかぶっていたキングジョージ賞は撤退。夏に行われていたクイーンエリザベス賞と合併することになりました。

それ以降、凱旋門賞は国際レースとして地位を築き、名馬が続出。55-56年にはイタリア最強馬のリボーが破壊的な強さで連覇を飾り、65年には史上最強馬と称されるシーバードが最高のメンバーが集まった一戦で勝利。

さらに70年の凱旋門賞にはイギリスの英雄、三冠馬のニジンスキーが出走するという、開設当時では考えられないような出来事が起こりました。

その翌年の71年にはイギリスのミルリーフが制して、英ダービー、キングジョージと子の凱旋門賞とで欧州三冠を初めて達成。このころから日本競馬でも凱旋門賞の存在は知られるようになり、69年にスピードシンボリが日本馬として初参戦するなど、様々なトピックスが刻まれました。

また、80年代になるとオイルマネーで台頭したサウジアラビア勢が活躍。86年にはハーリド・ビン・アブドゥッラーの所有馬ダンシングブレーヴが65年のシーバードをほうふつとさせる圧勝劇を見せ、国際レーティングで過去最高となる141を叩き出し、世界最高の名馬という称号をほしいままにしますが、その決定打となったのがこの凱旋門賞でした。

その後の凱旋門賞は世界角国にとっては憧れのレースであり、「凱旋門賞に追い付け追い越せ」という状態で賞金が徐々に高額になっていきます。凱旋門賞もこれに負けじと賞金を釣り上げていきますが、ギャンブルの要素のある競馬にスポンサー企業になるところは少なく、唯一手を挙げたのは旅行会社の大手企業、トラストハウスフォート社。毎年10万ポンドを収めることで凱旋門賞は高額賞金のレースになっていきました。

ちなみに凱旋門賞の「高額賞金化」の余波は日本にもあり、81年に創設されたジャパンCは高額な賞金を背景に世界角国から一流馬を集めることに成功しています。

かつては見向きもされなかった凱旋門賞ですが、こうした背景があって今や最高峰のレースとなりました。