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無敵の凱旋門賞馬。リボーとは?

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世界最高峰のレースとして知られる凱旋門賞。1920年に創設され、49年に賞金の大幅な増額を背景に世界各国から有力馬が集まるようになりましたが、その中でも今も語り継がれるほどの名馬がリボー。55年~56年の凱旋門賞を制しています。

そもそもリボーが生まれたのは1952年。イタリアの馬産家として知られるフェデリコ・テシオによる生産馬でした。画家でもあったテシオは生産馬に画家の名をつけることでも知られていて、リボーも当時の画家のひとりから名づけられました。

しかし、当時のリボーの評価は今一つ。その最大の理由となったのは体の小ささでした。イタリアの牧場で育成されたリボーはとにかく小柄で当時の担当厩務員たちから「ちびっこ」と称されるほど。しかし、燃えるような激しい気性がリボーには備わっており、その闘志あふれる走りを見たテシオだけはその素質を見抜いていましたが、そんなテシオでさえも馬体の小ささは危惧する材料となり、クラシック登録をしないでいました。

しかし、リボーのデビューまでわずか2ヵ月というところでテシオがまさかの死去。最大の目標として常々口にしていた凱旋門賞制覇を生前果たすことなくこの世を去りました。テシオの遺志を継いだ盟友、インチーサ・デッラ・ロケッタ侯爵が馬主を引き継ぎ、7月にリボーはデビューを飾ります。デビューからブッチギリの連勝を飾ったリボーは3歳になると、クラシックへの登録がないだけにダービー等の大レースに出走できませんでしたが、テシオの悲願である凱旋門賞制覇に情熱を注ぐようになります。

55年の凱旋門賞は事前登録の時点で史上最多となる156頭の登録があり、その中にはリボーのライバルとして目されていたイタリア三冠馬のボッティチェリ、オワーズらも含まれていました。しかし、2頭は事前に回避。中でもボッティチェリの回避理由が「リボーの調教がすごすぎたから」というものでした。

凱旋門賞の最終追い切りにあたり、リボーとボッティチェリは併走の形で調教を行いましたが、ボッティチェリが目いっぱい追っているのにもかかわらず、リボーは馬なりでグングンと伸び、最終的にはボッティチェリを4馬身もちぎるという快走を見せました。この走りを見たボッティチェリの陣営は馬の故障を疑い、異常がないことが判明すると「これではかなわない」として出走を回避しました。

迎えた凱旋門賞、リボーは2番手で追走し、最終コーナーで先頭に立つという強気なレース運び。凱旋門賞で先行して粘り込むのは至難の業ともいわれていますが、リボーは強気なレース運びで先頭に立つと、追い込まれるどころかさらに着差を広げて、2着のボウプリンスに3馬身差をつける圧勝で勝利。テシオの悲願とともに競馬後進国といわれていたイタリア調教馬の実力の高さを満天下に知らしめる形となりました。

さらにリボーで恐ろしいのはそのタフさ。凱旋門賞で激しいレースをしたにもかかわらず、その2週間後には地元イタリアの大レースであるジョッキークラブ大賞に出走すると前年の勝ち馬ノルマンを相手に15馬身差をつける圧勝を飾り、もはやイタリアには敵がいませんでした。

翌56年、リボーの目標は凱旋門賞の連覇。ヨーロッパ最強を誇示してはいましたが、54年時はあくまで伏兵の一頭としての出走。挑戦を挑む立場ではなく、受ける立場として勝利を見せることこそ真の名馬と考えたリボー陣営は手始めにイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベス2世Sを制し、史上初となる欧州2大レースを制した馬として凱旋門賞連覇に向けて出走しました。

前年はあくまで挑戦者だったリボーですが、この年のリボーはダントツの1番人気。ライバルとなったのは各国のクラシックホース7頭に史上初となるアメリカからの遠征馬のフィッシャーマンとキャリアボーイ。レベルとしてはさらに上がったレースとなりました。

リボー危うしと思われたメンバー構成ですが、最終的なリボーの単勝オッズは1.6倍と圧倒的な人気。そしてレースも前年のリプレイを見ているかのような内容でした。

レースでリボーは3番手に付けて追走すると、4コーナーでは早くも先頭に。前年以上にレベルの高いメンバーが揃った一戦で4角先頭という強気なレース運びは危険と考えられ、実際にキャリアボーイに騎乗していたエディ・アーギャロ騎手は「自分の馬が勝つ」と確信して追い始めました。通常の馬なら、道中3番手から4角先頭という強引なレース運びをした馬はバテる。そう考えればアーギャロの判断は決して間違っていなかったのですが、そんな常識で測れるところにリボーはいませんでした。

リボーは直線で先頭に立つと、鞭を一切使わずに走って伸びて、2着馬に結局6馬身差をつける圧勝で連覇達成。16戦無敗という断トツの成績を残してリボーは現役を引退します。

種牡馬に転身した後もリボーは活躍馬を続々と輩出し、史上唯一となる親子制覇を複数例(61年モルヴェド、64年プリンスロイヤル)で達成しています。ちなみにこの例で現在リーチがかかっているのはモンジュー。今年産駒が制覇するとリボーに並ぶ凱旋門賞親子制覇の2例目がかかっています。リボーの偉業に並ぶか、注目してみても面白いあかもしれません。